竹田喜之助について

kinosuke001竹田喜之助プロフィール

本名 岡本隆郎(おかもと たかお)

大正12年6月27日、岡山県瀬戸内市邑久町豊安の呉服商、大店の長男として生まれた。子どもの頃から文楽が好きで義太夫をうなり三味線を器用に弾いた。一方絵画にも堪能で幅広い趣味の持ち主だった。岡山第一中学校(現朝日高校)から第六高等学校(現岡山大学)を経て、東京帝国大学(現東京大学)工学部航空工学科へ。昭和25年3月結城孫太郎(後の竹田三之助一座)の公演に魅せられて人形劇にとりつかれ、一座に入座。結城糸城三を名乗り、人形師の道を歩み始めた。昭和30年4月竹田人形座となり、竹田喜之助となる。 300年の伝統を持つ竹田人形芝居をふまえながら、人形のからくりや、使用材料に画期的な工夫を凝らし、旧来の人形に新しい生命を吹き込み、どの人形も彼の優しく、温かく、厳しい人柄を映し出し、見る者に深い感動を与え、多くのファンを生む。

 

 

昭和30年3月 東京都指定無形文化財に認定
昭和32年12月 吉永淳一氏原作「雪ん子」文部省芸術祭優秀賞受賞
昭和36年1月 「喜之助人形」の名付け親である作家安藤鶴夫氏の肝入りで「喜之助人形展」を日本橋、白木屋で開催
昭和40年1月 「雪ん子」NHK教育局長賞受賞
昭和41年1月 「つるの笛」文部省芸術祭優秀賞受賞
昭和43年6月 「明治はるあき」文部省芸術祭優秀賞受賞(映画部門)
昭和45年 大阪万博の住友童話館で「つる」を連日公演、その回数は1442回にも及ぶ
昭和43年及び45年 6か月にわたり、ヨーロッパ・ア フリカ・アメリカなど、世界各地の人形劇団を歴訪
昭和47年・50年・51年とヨーロッパ各国において公演 「喜之助人形」の評価は、一段と不動のものとなった
昭和51年12月 郷土の母校、邑久小学校で「橋弁慶」・「雪ん子」を公演、ふるさとに錦を飾る
昭和54年8月31日 北海道公演の稽古の後、バイクで 帰宅途中自宅付近で交通事故に遭遇、9月5日 不帰の人 となった (享年56歳)
平成2年5月27日 人形劇界に与えた多大なる功績に 対し、日本ウニマ名誉会員となる
平成3年3月27日 邑久町名誉町民となる
平成4年6月19日 世界人形劇連盟名誉会員となる